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石井竜也 伝説 米米CLUBから借金10億で自殺未遂?!


出典 http://geinou-resistance.info/

「米米クラブ」のボーカルと言えば、カールスモーキー石井こと
石井竜也さんです。

1990年代のバンドブームの中で大ブレイクしたグループです。

そのボーカルとして活躍していた石井竜也さんですが、その後の映画や
借金10億、不倫などいろんなことがありました。

そんな、石井竜也さんの伝説を紹介します

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石井竜也

出典 http://miyabiki.com/archives/

石井竜也(いしいたつや)

出身地  茨木県

生年月日  1959年9月22日(57歳)

職業    歌手

所属    Sony Records

 

石井竜也 略歴

1982年頃 文化学院卒業。その後に街頭パフォーマンスを始める。学生時代に在籍していた映画研究会「A-Ken」のメンバーを中心に米米CLUBを結成。初期は「ドナルド平原」と名乗り、後に「カールスモーキー石井」と改名。本人談によれば一時期、「カールスモーキー中村」と名乗っていたことがあったらしい。

1985年 CBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)よりデビュー。

1988年から1989年 「KOME KOME WAR」「FUNK FUJIYAMA」で監督を務める。

1992年 松任谷由実とのデュエット曲「愛のWAVE」を発売。

米米CLUB「君がいるだけで」で第34回日本レコード大賞受賞。

1993年 チャリティーグループ「USED TO BE A CHILD」に参加。

1994年 第1回監督映画『河童』公開。

1996年 第2回監督映画『ACRI』公開。
興行的には振るわず、15億円の負債を抱える。後に自殺も考えたという。

1997年 映画の興行的失敗により米米CLUB解散。ソロ活動を開始。

1998年 HEP FIVEの空間モニュメント(巨大赤クジラ)をプロデュース。

1999年 DoCoMoの携帯“K-TI”をデザイン。

2002年 元宝塚歌劇団宙組初代男役で歌手の姿月あさととユニット「MOON STONES」を結成。

2004年 フォトジャーナリスト広河隆一との対談本『子どもに伝えるイラク戦争』を出版。

2005年 愛知万博のレギュラープログラムの総合プロデュースを務める。

2006年 倖田來未とのデュエット曲「KAMEN feat.石井竜也」を発売。

2006年4月 米米CLUB再結成。ソロと並行して活動を開始する。

2007年 10月 米米CLUBツアー“再々感激祭”(全7公演)

2009年 ソロ活動と米米CLUBのコンサートツアー等も平行して行われていた為、ハードスケジュールとなり、米米CLUBコンサート中(仙台公演)に疲労が原因で体調不良となり倒れ、プロデビュー以来、初めてコンサートが中止された。予定されていた大阪公演も延期となり、チケット代金の返金希望者には返金対応が行われた

2010年7月 フィーチャリング作品第2弾としてANRI(杏里)をフィーチャリングした「THE WAVE OF LOVE feat.ANRI」(シングル)を発売。

2011年 6月 『HEARTS VOICES』(ミニアルバム)を発売。TBS系「アシタスイッチ」に出演し、過去の映画事業で多額の借金を負い、自殺まで考えたことを告白。

引用先 Wikipedia

 

石井竜也 伝説 「米米CLUB」

石井竜也さんと言えば、「米米CLUB」です。

1985年に、レコード会社13社がこぞって、取り合いした
伝説のバンドのボーカルです。

出典 http://topicks.jp/

当時は、私も大ファンでよく見てました。

石井さんは「カールスモーキー石井」というネームで歌ってたんですが、
メチャクチャうまいんですよこれが。

しかも、パフォーマンスにかける意気込みがとんでもない。

凝りに凝りまくったステージは、満席になっても赤字という
うわさも出るほどのパフォーマンスでした。

派手で楽しくてカッコいい!そんなステージでした。

上記は、「KOMEKOMEWAR」ですが、このPVが面白かった!
(残念ながらみつかりませんでした)

その後「君がいるだけで」でメガヒット!

順風満帆に見えた米米CLUBですが、石井さんの芸術才能が
うずうずした結果、とんでもないことになってしまうんです・・

 

借金10億円!

一躍スターダムにのし上がった「米米CLUB」

しかし、その環境は激変したようです。ファン層は広がったため、
コアな歌より、万人向けの楽曲が増えていったようです。

売上げを意識した結果、パフォーマンスの面白さも低下。

それと同時に、石井竜也さんの活動が、映画制作や個展などの
芸術に移って行ってしまったんです。

石井さんの映画にかける情熱は相当なもの。

石井竜也は1994年に「河童 KAPPA」を製作、1996年には
「ACRI」を制作しますが、この2本ともが興行的に失敗。

この失敗で、10億円の借金を背負ってしまうんです!

とんでもない金額ですよね。

「河童」は見ましたが、結構いい映画だったと思います。
ただ、地味な映画でしたけどね。

この影響もあったのか、1997年3月に東京ドームで行われた
ライブを最後に「米米CLUB」は解散してしまいます。

その後、人間不信に陥行ってしまう石井さん。

仕事のために家から出ようと思っても過呼吸になってしまう。家では窓を閉め切り、「もうおかしくなりそうだった」と振り返る。そして、「俺、いない方がいいかも知れない」と思い詰めてしまい、「自殺未遂を2回ぐらいやっていますね」「刃物見るとやばいんですよ、死ぬこと考えるんですよ」。

とTVで語っている。

そんな石井さんを救ったのが、亡くなった父親だったそうです。
ある日突然、石井さんに電話をしてきて、

「お前はたぶん今人を恨んでるだろう。お前は今夢を売って、夢を作ってきたんじゃないか。人を恨んだり憎んだりして良い作品ができるか? そういう作品はお父さんはみたくない。自分がやってきたことを信じなさい。(中略)金なんてものは結局心がないものだろ?
そんな心のないものにお前は命を預けちゃうのか。こんなくだらないものに命を預けるなんて、お前はそこまで馬鹿じゃないよな」

と、言われて目が覚めたようですね。

そこからは、コンサートを開始し、「借金の苦しさ」ではなく、「借金があるほうが
やる気が出る」と考え方を買えたそうです。

その後、米米CLUBは2006年に再結成、2012年春にも全国ツアーを行いました。

本当にいろいろあった、石井竜也さんですが、今は復活して
本当に良かったです!

応援しています!

 

 

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  • この記事を書いた人

セイ

ゾンビ映画をこよなく愛する管理人「セイ」です。今まで見たゾンビ映画は数知れず。レビューなどを含めて紹介していきます

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